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体験談:Hさん

妻と協力しながら、認知症の父の遠距離介護と仕事を両立

【プロフィール】

●性別・年齢:男性・50代
●勤務先の事業内容:IT関係
●従業員規模:30名
●職務:管理職
●家族構成:妻(50代)
●兄弟姉妹:姉
●居住地:東京都
●介護歴:5年

【要介護者の状況】

●性別・年齢:男性・90代前半(当時)
●労働者本人との続柄:父
●要介護度:要介護3
●居住地:静岡県
●利用した介護サービス:介護施設及び介護施設を併設した病院

1.介護の状況(属性、要介護者との関係)

 私の介護の特徴は「遠距離介護」であることです。
 実家が静岡県にあり、母は10年以上前に亡くなっているため、父が一人で暮らしていました。ただ、がんを患っていたほか、ちょっとした認知症があるなどの理由から、介護が必要になりました。東京に父を連れて来るという話も出ましたが、父は「家から離れたくない」と言っていました。父の祖父は大工であり、その祖父と一緒に家族で作った家に愛着を持っていたのです。そのため、父はずっと静岡県で一人暮らしをすることになり、私と妻の遠距離介護が始まります。
 父は認知症になるまで一人で暮らしていました。しかし、ご近所に迷惑をかけることがあったため、市から病院を紹介してもらったり、私の方で介護施設を探したりしました。私の家の近くの有名な介護施設への入所も考えましたが、やはり父は静岡の自宅を離れたくないようでした。そのため、姉の家の近く(静岡)の介護施設に入所しました。
 後半の方は社会保険病院に入院しており、2022年の暮れに、90歳を超えていた父は永眠しました。介護は終わりましたが、取材を受けている現在は葬儀後の多忙な時期で、父の家のメンテナンスや相続関係の手続きなどをしています。

2.自身が行っている介護

 ほぼ毎週のように父の病院への送迎を行っていました。がんなどで体調が悪くなった際、病院へ行くには車が必要だったため、私か妻が静岡まで行って病院へ連れて行きました。病院は基本平日しか開いてなかったので、仕事を休む必要がありました。
 入院中や施設入居中は父の家のメンテナンスを毎月3回ほど行いました。築40年以上の和風建築の家であり、畳や布団、衣類などがありました。かつ湿気がある地域だったので、換気をする必要があったのです。頻繁には行けないため、カビないように風通しを良くする機械を3台購入しました。また、家具も早いうちから処分を始めました。
 父が認知症になった際には、介護施設や病院を探しました。市の窓口にもお世話になりましたが、最終的には自分の足で施設を数か所回って決めています。
 施設関連では、介護施設の転所の手続きも行いました。詳しくは後述していますが、父の行動が原因で転所の必要が出てきたので、受け入れてもらえる施設が見つかるまで探し、入所手続きをしました。

3.介護サービスの利用状況

 まず、父が認知症になった後に介護施設を利用しました。姉の家の近くだったため、安心していましたが、脱走を繰り返したため頭を悩ませることになります。
 また、介護施設を併設した病院も利用しました。その病院には医師が常駐し、看護師も介護士もいたため、24時間365日体制がしかれていました。この病院を利用したのは、父が精神病を患い、人に危害を加えてしまうことがあったからです。精神安定剤を処方してもらったり、暴れてしまうときはベッドに拘束してもらったりしました。ただ、介護士の方が母の50代の頃の姿に似ている方で、父は懐いていました。後半の方は、施設の中で楽しくしていたと思います。

4.勤務先の支援体制、制度等の利用状況

 介護休暇を利用しました。父はがんになってしまい、家から離れた病院に行く必要がありました。そのため、会社の介護休暇を利用してほぼ毎週のように東京から静岡まで行き、がん検診に連れていきました。

5.仕事と介護を両立できた理由

 まず妻の協力があります。私と同じく妻も仕事をしていました。父がまだ話せる状態のときには毎日のように携帯に電話がかかってきました。私が仕事で電話に出られないときは、妻の携帯にかかってきて、同じことを延々と2時間、3時間話されました。時には、「醤油がないから醤油を持って来い」などむちゃなことも言われました。父は相手のことをあまり考えずに電話をかけていたように思います。私よりも妻のほうがだいぶ苦労したと思います。妻なくしては仕事と介護の両立はできていませんでした。
 また、仕事と介護を両立できた理由には、良い施設に巡り会えたこともあります。新型コロナウイルス感染拡大後には、お世話になっていた介護施設にLINE面談の機会を作っていただきました。時間を事前に予約して、10分~15分の面談を行うものです。もし、LINE面談がなければ、父とコミュニケーションがとれないまま、父の死を迎えることになったのではないかと思います。さらに、施設では季節ごとのイベントが開催され、そのときの写真を送っていただけたため、安心できました。本当に施設の方々には良くしてもらえました。

6.仕事と介護の両立の際の苦労

 仕事を休まなければいけない状況が何度もありました。東京と静岡の遠距離介護であったため、平日に病院に行く必要がある場合は、仕事を休むしか選択肢がありませんでした。
 次に、介護施設での父の度重なる脱走には頭を悩ませました。脱走だけでなく、最終的には施設の人に暴力を振るってしまい、平謝りに平謝りを重ねました。そのため、転所する必要があり、施設探しや入所手続きもしなければなりませんでした。
 また、父の家が空き家認定されないように、毎月家のメンテナンスをする必要がありました。父の家が近くにあればいいのですが、東京と静岡の往復なので、気軽にいけないという悩みがありました。しかし、空き家認定されてしまうと固定資産税が最大6倍(1)になってしまいます。また、父の家は昔の瓦屋根だったため、朽ちて近隣の方にも迷惑がかかってしまうということで、放ってはおけませんでした。結果、毎月3回ほど静岡まで通っていたわけです。

7.介護者へのアドバイス

 介護というと、食事や排泄の補助などを思い浮かべるかもしれませんが、それだけではありません。私も初めて知ったのですが、施設に入所する場合は家のメンテナンスも必要になります。もちろん同居していれば、メンテナンスの必要はありませんが、そうでない方も多いかと思います。私の場合は、遠距離介護だったので頻繁には父の家に行けませんでした。そのため、Web検索で出てきた風通しを良くする(乾いた風を家の中に入れて湿気った風を外に出す)機械を3台購入し、カビを防止しました。また、家のメンテナンスで重要なのは「特定空家等」に認定されないようにすることです。通称「空き家認定」と呼ばれます。前述の通り、空き家認定されてしまうと、固定資産税が最大6倍になってしまいます。ただでさえ、介護施設や病院の診察で金銭的負担がかかるため、時間をかけてでも家のメンテナンスをしなければなりません。
 また、財産・資産管理も必要です。介護と仕事の両立によって身体的・精神的な負担がかかるため、心身のケアも必要になりますが、先を見据えた行動も大事です。もし、親に負の遺産があった場合に大変な思いをします。特に負の遺産は隠されがちです。私の場合は、成年後見人(本人の意思を尊重し,かつ本人の心身の状態や生活状況に配慮しながら,必要な代理行為を行うとともに,本人の財産を適正に管理する人(2))になったことで、事前に財産を確認できました。安心できる後見信託も活用したため、財産管理が楽になりました。そのため、父が亡くなった後の遺産相続では助かりました。葬儀前後は多忙で、悲しむ暇もない方も中にいらっしゃいます。親の死としっかり向き合う時間を作るためにも、早期から対策をしておくことは重要だと思います。介護において、自身の身体的・精神的なケアが大事なのは私も痛感していますが、将来を見据えて金銭的なケアをしておくことも考えてみてください。

引用・参考資料

(1)国土交通省「空家の除却等を促進するための土地に係る固定資産税等に関する所要の措置(平成27年度税制改正)(地方税法)」

https://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/content/001486667.pdf

(2)裁判所「成年後見制度について」

https://www.courts.go.jp/saiban/qa/qa_kazi/index.html#qa_kazi63

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