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「介護と仕事の両立」の意味を考える

コラム

「介護と仕事の両立」の意味を考える

津止 正敏(立命館大学産業社会学部現代社会学科教授)
平成30年度取材

 在宅での家族介護の実態変容が言われて久しい。高度経済成長期に書かれた、小説『恍惚の人』(有吉佐和子、1972年)が警鐘を鳴らしたように、介護問題が家族の枠を超えて社会化してきた。そして、2000年4月の「介護の社会化」を標榜して政策化された介護保険制度もまた在宅介護の実態を著しく更新してきた。
 筆者は、こうした高度経済成長以降の、そして介護保険登場以降、家族主義の封印を解かれて社会との接点を持って噴出してきた在宅介護の様相の変容を「新しい介護実態」として実践と研究の対象としてきた。「新しい介護実態」とはどのようなものか、について記しながら本稿の主題「仕事と介護の両立」について考えてみようと思う。

1.在宅における介護環境の変容過程

 「新しい介護実態」を筆者は次のように捉えてきた。
 一つは、介護を担う主たる家族(介護者)の状況が、この社会でこれまで前提とされてきたこととは全く異なってきたということである。全国社会福祉協議会が1968年7月に行なった「全国寝たきり老人実態調査」のデータを見るとその推移がよく分かる。この調査は、全国的な規模での調査としては我が国初めての介護実態調査だが、全国の民生委員13万人を調査員として70歳以上で床についたきりの老人全員の家庭をたずねて、老人と家族に面接し、年齢、状態、主な介護者等々12項目について調べたものだ。
 その結果、寝たきり老人は19万6千人、一部の調査漏れを加えると20万人を超えると推計されている。そして、主たる介護者の9割以上が女性であったことが指摘されているが、半世紀を経たいま、その状況は激変している。介護する夫や息子など男性介護者はいまでは同居の主たる介護者の中で3人に1人(34.0%)を占めるに至っている(平成28年国民生活基礎調査「世帯票」)。続柄の変容も激しい。先の全国調査で主たる介護者の半数を占めた「子どもの配偶者(嫁)」は、いまや主たる介護者の続柄では、妻や娘はおろか夫や息子をも下回る最も少数派(約12%)となっている。
 「新しい介護実態」の二つには、介護サービスの劇的な事業化・社会化がある。上述の1968年の我が国初の全国調査で20万人と推計された寝たきり老人のなかで、「家族等の身寄りがなく見かねた近隣や知人、ヘルパー等に世話してもらって暮らしている単身寝たきり老人が8千百人も(下線筆者)」いることが分かった」、と当時の新聞記事は記している。特別養護老人ホームは当時全国に4千5百床しかなく、ホームヘルプやディサービスなどの在宅福祉などは全く未開発の時だった。それ故、20万人と推計された寝たきり老人のうち19万2千人が家族だけの手による介護で暮らしていたということになる。寝たきり老人の中で4%という家族以外の世話によって暮らす人の実態をして「8千百人も」という新聞記事自体が家族の介護を当然視していたこの時代の「社会規範」を示している。
 この時期の福祉制度は朝日訴訟(1957~1967年)でもその生存権の在り様が争われていたが、介護に係る公的施策は、例えば上述した特別養護老人ホームは全国にわずか4千5百床しか整備されていなかったことに象徴されるように、さらに劣悪で、ごく限られた救貧的でかつ差別的、全く周辺化された施策に過ぎなかった。「身寄りがなく貧乏な人」のための事業が介護や福祉だった時代だ。その後の福祉元年(1973年)やゴールドプラン(1989年)など社会福祉の政策化の動向や、介護保険制度の登場はこうした環境を劇的に変えたようだ。介護サービスを取り込む暮らしが一般化し、実態的な課題はなお多くを残しているが、少なくともその理念としては「何時でも誰でも何処でも必要な時に」利用できるユニバーサルな制度として社会的合意を得るようになっている。介護サービスを利用することが恥だとされるような時代があったことももう過去の話になろうとしている。福祉や介護の社会化に対する社会的合意水準の劇的な前進だ。
 そして三つ目の変化は、「ながら」介護という介護のカタチだ。
 介護は長い間、専業主婦が担ってきた。介護に専念し得る家族の存在こそがこれまでの在宅介護を可能ならしめ、3世代・4世代同居・近居という大家族が基盤にあった。高度経済成長以降、こうした大家族に取って代わったのは核家族化・単身家族化の劇的な進展だった。加えて女性の就労や社会参加も同時進行した。こうして介護に専念し得る家族はいつしか消滅し、「ながら」介護という新種が登場することになる。
 実家に通い「ながら」親を介護する娘や息子。働き「ながら」配偶者や親を介護する中高年のワーキングケアラー。晩婚化・晩産化の影響で子育てし「ながら」親を介護するダブルケアラーといわれる40前後の娘や息子。修学・就活・婚活し「ながら」親や祖父母を介護するヤングケアラー。自身もディサービスや病院に通院・通所し「ながら」配偶者や親や子どもを介護する老老の介護者。「ながら」介護はこうして全ての世代を飲み込んで広がろうとしている。

2.仕事と介護の緊張関係-「60歳以下の介護者の多くは働いている」-

 仕事と介護の緊張関係に直面しながら働く人は346.3万人となった。5年周期で実施される調査(総務省:平成29年就業構造基本調査)の直近のデータだが、ワーキングケアラーは男性151.5万人、女性194.8万人、介護しながら働く人はこの5年間で55万人増えている。
また、過去1年間(2016年10月~2017年9月)に家族の介護のために離職した人は99.1千人、男性24.6千人、女性74.5千人となった。5年前と比して、女性では8.8千人減少したが、男性では逆に5.8千人増加するなど、介護離職を巡っての実態は改善されるような事態とはなっていない。有業者総数に占める介護する人はどれくらいになるか、介護する人全体の中で有業者数はどれくらいか、という視点でこの調査のデータを分析すれば、驚きの実態が浮かび上がる。
 まず、有業者視点からみれば、①働いている人の約20人に1人(5.2%)は介護している有業者である。②働いている男性の4.1%、女性の6.7%は介護している人である、③働いている50代後半の人の12.0%は介護をしている、となる。これだけでも無視できる数字ではないが、それでもまだ働いている人の中で介護する人はマイノリティだ。
 だが、これを介護者視点から読み取ると、次のように驚愕の実態となる。①介護者の半数以上(55.2%)は働いている、②男性介護者の65.3%、女性の介護者の49.3%は働いている、③生産年齢層の60歳以下に限ってみれば、男性介護者の84.3%、女性介護者の65.9%は働いている、50代前半の男性介護者の87.0%は仕事をしている、といいうのだ。介護者のマジョリティはもう既に有業者、「介護しながら働いている」人たちなのだ。介護で離職する人「毎年10万人」だけがクローズアップされているが、彼らの背後には優に300万人を超える「介護離職予備軍」ともいえる膨大なワーキングケアラーが存在するのだ。
 現行の介護政策は「介護者の多数派は働いている」という実態を認識しているのであろうか。多分にそうではないに違いない。働きながら介護している人がいないわけではないが、介護者の多くは介護に専念している、という旧態然たる前提で介護政策が設計されているのではないか。仕事と介護の両立の困難さに嘆く介護者の声は、上記のような介護者のマジョリティは有業者という介護実態、いざ介護が始まれば介護に専念できる家族の存在を標準とする政策的前提、という矛盾が作り出す軋みの音だ。

3.「ながら」介護の先取性

 先に「ながら」介護を強調したが、ただ見落としていけないこともある。私は、あれもこれもという対応の複雑性という意味での「ながら」の困難性を指摘してきたが、同時に「ながら」介護にはこれまでにはなかった時代の先取性もあるということを忘れてはならない。なにより、いざ家族に介護が必要になったら家族の誰かがその課題に専念する時代とは違って、介護サービスを利用し「ながら」介護する生活の一般化だ。家族介護を支援するディサービスやホームヘルプ、ショートステイも、初の介護実態調査がなされた時期とはもちろんだが、介護保険導入以前とも比べようもないほどに拡大し、新しい介護援助職のケアマネジャーもうまれた。「介護の社会化」を内実化する社会資源と共に介護をする時代だ。
 また、介護が仲介する連帯の力もある。介護しながらも、同僚や介護サービスの支援で定年を迎えることが出来たFさん(67歳、熊本県)に聴いた話だ。Fさんが妻の介護を始めたのは15年前。認知症を患った妻は50歳だった。切なくもあるが、ホッと心和む場面もある介護の日々を、Fさんは次のように語った。定年の2年前からディサービスを利用しながらなんとか仕事を続けてきた/ディの迎えが来る前は分刻みの急がしさだ/朝食の準備・食事・片づけ・着替え・歯磨き・洗顔・化粧/ディの迎えと同時に出社し、通勤電車での1時間が一番ゆっくりできる時間/会社に着いたら直ぐに仕事モード、仕事に集中することで介護ストレスも発散/ディの帰宅にあわせ時間給とっての早期退社/電車の中で献立を考え、買い物、調理。美味しいという妻の笑顔で苦労も吹っ飛ぶ/働きながらの介護は困難も多いが、しかし24時間365日介護漬けにならずにもすんだ、ともいう。介護が仕事を、仕事が介護を、それぞれに補い合っているのだ。
 妻の症状を早くに職場にカミングアウトしSOSを発してきたことが職場の理解に繋がったともいう。妻の症状が重篤化し、「もう辞めよう」と思い悩んだのだが、「定年までもう直ぐだよ」との同僚たちの励ましでディサービスの利用を始めたとも話してくれた。 “あと少しで定年退職だ。これも職場の理解やディやヘルパーの支援があってこそ。感謝!”。定年まで何とか働きながら介護してきた男性の声だが、24時間介護漬けにならずに済んだ、ということでもある。
 「ながら」介護を無くせ!というのではなく、「ながら」介護が誰の犠牲を被ることなく全うできる環境の整備を!という声こそが道理ある声ではなかろうか。適切な支えがあって初めて可能となる介護と仕事を巡っての新しい環境を夢物語に終わらせてはならない。

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