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体験談3:Aさん

手術・療養を経て1年後に営業畑に復帰、さらに育児と仕事も両立

【プロフィール】
性別・年齢:女性・30代
勤務先の事業内容:電気機器メーカー
従業員規模:1500名
職務:自社製品のプロモーション、企画、マーケティング、営業
家族構成:配偶者・子
居住地:千葉県

1.治療内容

 発病したのは、2012年7月になります。当時、ちょうど仕事が波に乗っている状況であったため、自分の持てる力200%位の気持ちで仕事に取り組んでいました。当時は29歳。頑張り過ぎているという自覚があったのですが、超多忙な時期が1年ほど続いていました。そんなある日、入浴中に胸のしこりを感じました。最初は小さかったので気にしてなかったのですが、1週間程で小石サイズの大きさに。これは良くないと思い、すぐに病院で検査を受けました。検査の結果「ステージ3の乳ガンです」という告知を受けました。祖母が50代で亡くなっていることが頭をよぎり、これは遺伝なのかもしれないと思いました。その後、家族で集まって会議を開き、どんな治療をするか話し合いました。同時に、会社にも報告し、「20代のガンは進行が早いので早急にガン治療に入らせてください」とお願いしました。「もちろん大丈夫」と長期療養休暇取得の許可を得て、翌週には治療のための休みに入らせて頂きました。
 治療は当初、有名ながんセンターを希望していましたが、手術は1~2ヵ月待ち。20代で発症するガンは転移が早いため、すぐに対応できる乳腺外科専門のクリニックで治療を受けることを決めました。
 先生から治療方針は、抗がん剤でガンを小さくしてから、その部分を切除するという形になりました。抗がん剤治療については、テレビドラマなどからのイメージで、最初は恐い印象がありました。抗がん剤の投与は2012年7月から始めて半年間続きました。吐き気は、個人差はありますが私は我慢できるレベルでした。ガンに打ち勝つために痩せたくなかったのでしっかり食べていたら、予想に反して7キロ太りました。髪は抜けることは覚悟していたので自分は大丈夫と思っていましたが、すべての髪が抜けた落ちた姿を鏡で見ていると自然に涙がでて、心理的なショックがあったのだと感じました。
 そして、抗がん剤投与が終わった後、再検査をしたらガンを示す数値が劇的に改善されていて、ガンがほぼ消滅している状態までになっていました。先生も「奇跡が起きたと思えるぐらいすごい」と驚かれていました。それでも安全をみてガンの病巣部は摘出することになりましたが、全摘ではなく3分の1程度の部分摘出になりました。入院は1週間程度で、退院後はしばらく自宅で安静に過ごし、その後、少しずつ散歩ができるまでに回復しました。2013年7月に復職を果たしましたが、手術後5年は再発のリスクが高い状態なので、抗がん剤は飲み薬として5年継続し、3ヵ月に1回の定期健診で再発が無いことを確認しました。
 その後結婚し、2018年に抗がん剤治療が終わるのを待って、不妊治療に入りました。抗がん剤治療による影響のため、高度不妊治療(体外受精)の一択でした。不妊治療期間は半年でその間に失敗もありましたが、結果的に4~5%の成功率といわれている中で奇跡的に妊娠に至り、2020年3月に無事に我が子に会うことができました。産休・育休合わせて7ヵ月の休みを頂き、2020年9月より職場復帰しました。社内の育児関連の人事制度を活用し、3ヵ月に1度の通院を続けながら、病気治療と育児と仕事の両立が出来ています。

2.勤務先の支援体制、利用状況

 療養期間中は、当時の人事担当者の方が定期的に連絡をくださいました。仕事の話は一切なく、「調子はどう?」といった親しみのあるやり取りでした。退院して数ヵ月経った頃、その人事担当者の方が私の自宅近くのカフェまで来てくださって、面会をしました。面会では、雑談の他、「復職したいか?」「元の部署で働きたいか?」についてもヒアリングしていただきました。私としては、「別の部署で働きたい」と答えました。
 それは、ガンになった原因が遺伝か仕事か分からない以上、その原因の可能性があるものは取り除かないと、また再発してしまうかもしれないという心配があったためです。私の場合、女性ホルモン系のガンではなく再発率も高いため、これまでとは違う環境で働かせてほしいとお願いしました。
 人事担当者の方を通して元部署の上司に、自分の希望を伝えていただいたところ、「病気をした経験を活かしてほしい」と医療機器に関する事業をしている他部署への異動の提案をいただきました。それならお役に立てるかもしれないと、ありがたくお引き受けしました。実は、外回りのない内勤業務へキャリアチェンジする道もありましたが、後輩たちに対して病気からの復職後は仕事を制限しなくてはいけないといったマイナス面を見せたくなかったので、働き方を改善しながら希望の分野に職場復帰する道を選びました。当初、残業はしないと決めた上で、2~3ヵ月後には新製品をつくるプロジェクトに参加することもできました。
 産業医との面談を月に1回、会社が設けてくれました。毎月、自分の働き方を振り返ることで、身体の回復に努めながら仕事も頑張る、という良いきっかけになりました。
 フレックスタイム勤務制度は有効的に利用させていただいていました。通院してから出社するといったワークライフスタイルも可能でしたので、この制度があるだけで本当に気持ちの負担が軽くなりました。有給休暇は半日単位で取得できる制度になっていますので、病気治療との両立にあたって有効に活用することができました。

3.協力者との関係

 療養からの復職後は、直属の上司がご自身も病気の体験もあり、日頃から体調の面など気遣っていただきました。「積極的に休みをとりなさい」と言っていただき、体調を崩した時も言いやすい職場環境をつくってくださいました。

4.両立のコツ

 制度をきちんと教えてもらって、活用することが重要だと考えます。わからないことがあったら、積極的に自分でも情報を集めて、必要な制度を使わせてもらう姿勢が大切だと思います。
 社内には両立支援ハンドブックという仕事と子育ての両立に関する手引きがあり、産休育休に関連する制度や収入面等の内容がまとめられていて、制度についての解説も分かりやすく示されています。現在は仕事と病気治療の両立に関する手引きもできていますので、そういったものがあると自分にとって必要な制度を的確に選ぶことができます。希望すればそのハンドブックについての説明を人事部の担当者から受けることができます。
 また、上司に理解してもらうことも大事だと思っています。早く復帰したいという人もいれば、じっくり休んでから復帰したい人もいるので、両者でしっかりコミュニケーションをとることが必要だと思います。
 長期休暇からの復帰後については、以前に私の周囲の職場で、その職場の上司が復帰後の社員に気をつかいすぎて、責任ある仕事を任せず、良かれと思って対応したことが結果的にその社員のモチベーションを下げてしまうということが起きていました。そのこともあり、私は育休取得前に事前に上司には復帰後も育休前と同様の仕事をさせてくださいと私の気持ちを伝え、お願いしていました。上司も男性ではありましたが子育てを経験されている方でしたので、理解を示してくださり、復職前と同様の職務に従事することができました。社員としては自分の存在価値やモチベーションの維持が関わる部分ですので、そこはきちんとした話し合いが必要だと感じています。

5.両立の悩み

 時間のコントロールだと思います。根性でこなしていた20代とは違い、今は育児もあるのできっちりその時間内に仕事を終わらせることが求められます。「時間の制限」という新たなハードルは想像以上に大変で、慣れるまではそこが一番ストレスに感じました。
 子どもと向き合う時間はとても大切なので、18時に保育園に迎えにいくまでに仕事を終えると決めています。それでもやらなければいけないことがあるときは、上司にもきちんと報告をし、周りに理解と協力を求めるような働きかけを行っています。すべてオープンにし、きちんと評価してもらうことが大事だと思います。

6.病気治療をする労働者へのアドバイス

 「制度をしっかり活用すること」と、「自分が今の状態を伝え、周囲の理解は得ること」が大切だと思います。察してほしいというのは難しいと思うので、自分の状況を伝える努力も必要になってきます。言いたくないこともあるかとは思いますが、ある程度は話さないと、周りも理解しづらいので、折り合いをつけていくのが大事です。
 また私の経験上、1回話すだけでは上手くいかないものなので、何回も話をして、だんだん理解いただくというステップを踏まないと、いい人間関係を作れないと感じました。これからも職場の方々と一緒に、一人一人がそれぞれ働きがいを持てる環境をつくっていきたいと思っています。

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