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体験談5:Yさん

がんであることを負い目に感じず、両立できる何かを見つけるのがコツ

【プロフィール】
性別・年齢:女性・40代
勤務先の事業内容:小児専門医療機関
従業員規模:1000名
職務:調査の事務員
家族構成:配偶者・娘(中1・小2)
居住地:東京都

1.治療内容

 2020年10月、今の職場で働き始める際に受けた健康診断がきっかけで、乳がんが見つかりました。検査通院を経て2か月後の12月に手術、その後約1か月間は療養のため仕事を休みし、1月に職場に復帰しました。
 乳がんには様々なケースがありますが、私はステージ0の非浸潤性乳管がんでした。1件目の病院では乳腺症と診断されたのですが、たまたま知人のアドバイスを受けて別の病院でセカンドオピニオンを求め、乳がんであることがわかったのです。ステージ0での早期発見に医療の進化を感じたのと同時に、医師によって見方、方針が違うこともある、ということを学びました。 1件目の病院での診療結果があってこそ、2件目で発見できたと思っています。
 初期であるとはいえ、乳がんの宣告は自分にとって衝撃でした。血縁者にはがん患者はいませんでしたし、当時娘たちもまだ小1と小6で育児も落ち着いていなかった時期で、「まさか自分が」という思いから、気分が落ち込みました。
 さらに、手術で右乳房全摘出を行う旨を医師から聞かされたときは「ステージ0でありながら全摘出しないといけないのか」と悩み、友人に相談するなど時間をかけて気持ちの整理を行いました。
 診断を受けてからは、週3日の仕事をこなしながら通院し、手術に向けた検査や心の準備、子どもの気持ちの面でのケアをしていました。
 12月に手術は無事に成功し、経過も順調だったため、入院日数は4日間と短く済みました。病理検査の結果も良好で、投薬、放射線、抗がん剤、いずれの治療も不要でした。結果として、不安を残したまま乳房を温存するよりも、全摘出をしてよかったし、医師を信じてよかったと今では感謝しています。
 退院後は患部の痛みが強く、フライパンや包丁を扱うこともままならない状態でしたが、リハビリの成果もあり徐々に痛みが軽減していきました。退院直後は3週間ごとに、現在は4か月に1回通院しています。
 乳房再建手術は予定していません。案内をいただいて検討もしましたが、毎年の検査やメンテナンスが必要になったり、インプラントのリコールがあったりと、自分にとってはメリットよりもリスクの方が上回ると思ったからです。
 今後は、仕事をしながら検査を怠らず、経過をみていく予定です。

2.勤務先の支援体制、利用状況

 現在の職場に採用された直後の健康診断がきっかけで病気がわかったので、診断を受けた当時は仕事や環境、人間関係に至るまで、右も左もわからない状態でした。私の勤務日数は週3日でしたので、手術までの約2か月間、可能な限り勤務日以外の曜日に通院し、1日も早く職場に慣れることができるよう仕事との両立をはかりました。
 職場は病院で、医師の先生方は外来だけでなく研究の仕事を抱えています。研究のテーマごとに私のような非常勤のスタッフがサポートに入り、データ作成等の作業を行っています。研究の進度や工程によって作業内容が決まるので、忙しさは一定ではありませんが、休むとなれば仕事に穴をあけることになってしまいます。家からの距離や条件、環境など含め、とても気に入った職場でしたので、病気がわかったときは「辞めなければいけないのか」と不安がよぎりました。しかし、上司から「体調に応じて日数を減らしてもいい」「1日も早く戻ってきて」と温かい言葉をかけてもらえたので、ありがたく受け止め、安心して治療に専念することができました。
 職場復帰をした後は、上司から「体調優先で無理をしないように」と提案していただき、復帰後2週間は週1回勤務、その後2~3週間は週2回勤務という経過をたどり、本来の週3回勤務へと、ゆるやかに勤務日数を戻していきました。
 就業規則では、療養のために5日以上休んだ場合、フルタイム勤務の場合は年に10日間、週3日勤務の場合は年に5日間までが、欠勤とは異なり人事評価に影響しない「病気休暇」として扱われます。そのため、5日を超えて休んだ分は有給休暇を消化することになりますが、私は就職したばかりで有給休暇が付与されていなかったので、仕事を休んだ約1か月間(勤務日数にして12日)のうち、5日間が病気休暇、残り7日が欠勤として扱われました。
 私が不在にしていた期間中は、前任が臨時のパートスタッフとして対応してくださったので、休む際も復帰する際も滞りなく業務の引継ぎができました。

3.協力者との関係

 まず、入院中や退院後は、「できるだけアウトソーシングしよう」と考えました。弁当や食材の宅配、ネットスーパー、出前、テイクアウトなどを積極的に利用しました。退院直後は母が食事を届けてくれたほか、近所のママ友だちが娘の習い事や塾の送迎を引き受けてくれたこともあり、本当に感謝しています。
 また、職場の皆さんの理解を得られたことも大きいです。病気がわかり上司に病気のことを伝えたとき、「仕事のことは大丈夫だから治療に専念して」と言ってもらえました。その後も、業務の合間を縫って、治療に関連した休暇の取得希望などをこまめに相談できたので、とても安心でした。また、周囲の職員に30代から50代の女性が多く、乳がんの治療や、家族を残して入院することへの不安についても共感し、親身になってくれたこともあり、恵まれた環境だったと感じています。
 友だちやがん治療の経験者、病院のスタッフにも助けられました。喪失感が大きく、精神的に苦しい状況の中、気持ちを吐き出し、話を聞いてもらうことで慰められ、前向きになれたのです。私が入院した病院には「子ども医療支援室」というものがあり、親が重篤な病気を持つ子どもたちのメンタルケアについてのアドバイスを受けることもできたので、病気治療を行う上での子どもへの接し方も含めて勉強させていただきました。

4.両立のコツ

 私の実家は神奈川ですので、母にきてもらうこともできましたが、コロナ禍でしたので、入院中や退院後は、「できるだけアウトソーシングしてのりきろう」と考えました。弁当や食材の宅配、ネットスーパー、出前、テイクアウトなどを積極的に利用しました。
 また、思い切って周囲に病気のことを打ち明け、理解を得られるよう努めることが、両立のコツだと感じています。職場の方々にわかっていただけたこと、友だちに話を聞いてもらえたことが本当に助けになったからです。乳がんなどの女性特有の病気だと、上司が男性である場合は特に話しづらいかもしれません。しかし、話すことで相手から得られる情報もありますし、こちらの状況を開示することで組織として協力体制を取ってもらいやすくなるため、よい関係性を維持することにもつながります。
 「がんになった」と言うと、まるで普通の人ではないように思われてしまい、社会と断絶されたような気持ちになることも多いです。
 しかし実際には、普通の生活を送り、仕事を続けられることもあります。がんになったからといって、何もかもあきらめる必要はないと思います。治療が必要であると同時に生活もありますから、ずっと病気のことを考え続ける必要はありません。確かに気持ちは落ち込みますし、手術をした後の喪失感も大きいですが、早めに職場復帰するなど、以前の自分に戻ることが自信の回復につながります。
 このほか、治療中でも取り組めることを見つけて、前向きに生きていくための足掛かりをつかむことが大事だと思っています。私は統計(テキストマイニング手法)や税金の仕組みなどを勉強し、職場復帰に向けたウォーミングアップを行っていました。

5.両立の悩み

 夫が日々忙しく、また家事が苦手だったことがいちばんの悩みでした。普段から家事をほとんどしない人だったので、短期間とはいえ私が入院している間の生活がどうなるか、想像がつかなかったのです。しかし、コロナ禍で実家の母には頼みたくなかったこともあり、夫と娘2人で乗り切ってもらおうと決めました。
 入院前には、私が家じゅうに家事の進め方についての説明を書いた付箋紙を貼ったほか、子どもの服は一週間分用意しておきました。娘にも、できることは自分でするように伝えました。その効果もあり、娘は今でもホットケーキを作ってくれたり、簡単な家事を手伝ってくれたりします。夫は朝、娘の水筒の準備ができるようになりました。男性が食事の支度やアイロン掛けなどの家事をされているご家庭もあるかと思いますが、我が家では水筒が用意できるようになっただけでも喜ばしいことなのです。

6.病気治療をする労働者へのアドバイス

 まずは健康診断や検査をきちんと受けること、そして信頼できる医師を探すことが大切だと思います。病気を早期発見できれば、仕事を続けられる可能性も高まることで、収入の安定にもつながるでしょう。
 また、普段から職場の就業規則を確認する機会は少ないと思いますが、検査をして万一病気が見つかったら、就業規則や社内規定をきちんと確認して、どのようなサポートを受けられるか、人事担当者に問い合わせてみるのも一つの方法です。
 誰でも病気になる可能性はありますし、病気になってからも生活は続きます。がんになったからといって負い目を感じるのではなく、周囲にはできるだけ現状を伝え、使える制度やサービスを探し、アウトソーシングなど少しでも自分を楽にできる方法を見つけながら、病気と生活を両立するとよいと思います。

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