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体験談7:Tさん

育児・介護と育児のWケアに直面し、会社の休業制度を使い生活を立て直し

【プロフィール】
性別・年齢:女性・40代
勤務先の事業内容:人材育成・研修事業
従業員規模:30名
職種:総合職
家族構成:息子(中2)、娘(小5)
居住地:神奈川県
介護歴:5年

1.育児・介護の状況(属性、要介護者との関係)

 東京都内に住む母や茨城県の祖母のケアをしながら、シングルマザーとして二人の子どもを育てています。
 2015年までは、夫も同居していて共働きで子育てをしていましたが、2016年に夫と別居し、その後離婚しました。その時点で、母は夫と軽度の知的障害をもつ妹の他、2人の祖母、大叔母と、計5人のケア(介護を含めて)をしていました。祖母たちが古い年代だったので、嫁である母が面倒をみるのは当たり前といった雰囲気でした。父方の祖母は認知症で施設に入っていたので、父なりには対応しようとしていたのですが出来ないこともあり、母が施設に足を運んでいたようです。父は、まったく家事ができないため、あまり戦力にはなっていませんでした。関われる人はたくさんいたのですが年齢や家事能力の問題もあり、母が中心になって頑張っている状況でした。
 そんななか、2015年秋頃に母も病気を患い、風邪をこじらせて入院したので、私が父や母方の祖母の世話をしなくてはいけない状況になりました。2015年は共働きで仕事をしながら育児もしていたので、最初は父の世話をしてほしいと母に頼まれ、仕事の帰りに実家に寄って、子ども達のご飯は朝作っておいたご飯を食べさせるといった形で、何とかやろうとしました。土日には茨城県の祖母たちを見に行って必要な手続きや買い出しなどをして、帰ってきて母の用事をしたり、家のことをしたりしていました。当時、子ども達は9歳と6歳でした。その後、仕事と介護の両立が厳しくなり、2016年にいったん仕事を1年間休ませてもらいました。その間に、子どもとの時間がとれず子どもが不登校になったり、問題行動が出たりしたので、そのケアを行うことから始めて、次に母と父の生活を整えることを始めました。子どもも両親も祖母たちも、一人で身の回りのことが出来ない人が多く、身の回りのことをするための準備が整っていないと手がかかると思ったので、出来るところは一人でやるようにしてもらうように準備をする時間が必要だと考えました。整理整頓してどこにモノがあるかひと目でわかるようにしたり、子どもが学校の準備を一人で出来るようにしたりと、細かいところを整えました。
 子ども達はあっという間に良くなったので、実家や祖母の家の片付けを中心に行い、粗大ゴミ等を捨てて暮らしやすいようにしました。その後、自分の離婚の話を進め、引越をして生活全体を整えていきました。その時点で妹と同居を始め、妹が子ども達の面倒をみてくれるようになりました。今は、妹は一人暮らしをして自立しています。
1年間で家のいろいろなことを片づけ、2017年には無事に仕事に復帰し、今も勤めています。

2.自身が行っている育児・介護

 現在は、一人祖母を見送ったので、自分の両親と祖母と大叔母の世話をしています。定期的に各自の家に行き、必要な家事や買い物、公的な手続きなどをサポートしています。ただ、コロナ禍になってからは、遠方まで行ける機会が減ってしまいました。現在は母が元気になったので、母が外出する際には実家で一人になる父の世話を中心にしています。
 育児については、2人の子供も学校生活で落ち着きを取り戻し、自分のことは自分で出来るようになり、かなり手がかからないようになりました。コロナ禍で、在宅勤務となったため、一緒に過ごせる時間が増えたことも大きいと思います。

3.介護サービスの利用状況

 介護認定を受けている家族の介護ではないため、介護サービスは利用していません。ただ、家族の生活を整えるために1年間休業する時に、当時は法定の休業が使えなかったため、生活が可能なのかどうかファイナンシャルプランナーの方に相談しました。有給は使いきり、その後は特に休業手当がでるわけではなかったので、手元にある貯蓄で生活していけるか確認してもらいました。この状態を無理して続けて途中で退職してしまった場合、半年間休業した場合、1年間休業した場合などのパターンを出してもらい、やっていけるか検討しました。その結果、まだ何とかできるうちに休んで生活を立て直した方がいいということがわかり、休業に入る踏ん切りがつきました。

4.勤務先の支援体制、利用状況

 会社にはなかなか相談できずにいました。会社に頻繁に母から頼まれごとや相談の電話がかかってくることが多く、最初はいつも長電話している人という感じになってしまいました。ただ、私の場合は、要介護者という認定を受けている人の介護ではなかったのです。当時、自分は介護だと認識できていませんでした。しかも、遠方に住んでいる祖母のお世話というと、あまり大変に聞こえず、上手く状況を説明できませんでした。そんな時、1週間のうち立て続けに失敗をしてしまうことが続いた時に、「どうしたの?」と会社の先輩に聞かれて、その場で「私もう、仕事出来ないかも」と泣いてしまって。その先輩は、なんでも相談しやすくいつも助けてくれる方でしたが、「家のことが大変で・・」という話しかできませんでした。この状態で仕事を続ける、もしくは休まないと無理だなと思っていました。小規模な会社なので、私が休むと他の人にしわ寄せがくると申し訳なく思っていましたが、先輩が「大変だったんだね。少し休んだらいいんじゃない」と言ってくださり、ほっとしたのを覚えています。
 その後、小さな会社なので上司であり社長に「お休みをいただいて家の方を何とかしようと思っています」と相談し、快諾していただきました。社長も女性で、出産しながら働いたり、介護の経験もあったので、大変理解してくださいました。
 当時、介護休業という形ではお休みがとれなかったので、会社の就業規則にあった特に理由はなくても1年までは上長との相談の上、休業できるという独自の制度を用いて休ませてもらいました。当時の法律では、同居をしている何親等以内の家族の介護という規定が設けられていたかと思います。
 1年後の仕事復帰後は、最初は負担の軽い仕事から始め、社内フリーという立場でいろいろな案件をお手伝いする形にさせてもらいました。現在はフルタイムで働いています。今はコロナの影響でほぼ在宅勤務になったことで、育児と介護と仕事の両立がしやすい状況となっています。

5.仕事と育児・介護を両立できた理由

 ありがたかったのは、会社の方に休みやすい仕組みと雰囲気があったことだと思います。独自の休業制度もそうですが、何よりも忙しいなかでみんなが快く「休んでいいよ」と言ってくれました。それは、育児をしている社員が大変多い(女性社員6割)のをはじめ、ペーパーレス、クラウド化も進んでいたので、当初からテレワークが出来る仕組みが出来ていたことが大きかったと思います。例えば、茨城県の祖母の家や移動中も仕事ができました。私の場合は、実家や病院など移動が多い介護スタイルなので、すき間時間でも仕事が出来たのがありがたかったです。また、今度は他の社員が育児で大変な時に手助けしたりと、お互い様という企業風土があることにずいぶん助けられました。国の制度からは外れてしまう保障されていない介護ケアであったにも関わらず、それを受け入れてくれる良い雰囲気があったことに感謝です。

6.仕事と育児・介護の両立の際の苦労

 Wケアを経験し、実は同居していない要介護ではない親のお世話をしている人が、とても多いんだと感じました。私自身も2015年の秋頃、いろいろな大変なことが起きているのだけれど、それが介護だと気づいていなかったため、「みんなはちゃんと仕事しているのに、私だけ家のことがゴチャゴチャで・・」と落ち込んでいました。仕事でもミスをして申し訳ないけれどこれをなんて説明してわからないという状況。家のゴタゴタだと思っていたことが、実は介護問題だったと気づくまでが一番大変でした。この状況が何だったのか気づけたのは、ずいぶん後に「Wケア」という言葉を知ったことでした。Wケアだったから大変だったと腑に落ちました。育児も、介護も大変だけど、Wケアはさらに大変、ということをぜひ皆さんにも伝えなくてはと思いました。組み合わさった時の大変さと、うまく名前のつけられないケアというのも、実は大変なんだということを伝えたいです。

7.育児・介護を行う労働者へのアドバイス

 ケアしながら仕事をすることは大変、辛いものです。けれど、仕事も家庭もあるから頑張れるということもあると思うのです。私自身、頑張って職場に帰らなきゃという気持ちがなければつぶれていたかなと。お給与をもらえたり、自分を認めてもらえたり、社会的な自分がいることが私には励みになりました。出来れば仕事を辞めないで、職場の方にも協力してもらいながら仕事との両立を進められるといいと思います。

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